このたびの地震の被害に遭われました皆様に心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。
 
23日(1日目)
 18時前、件の地震を受け、県庁にて20時30分現状を把握した後、一路、震源地と言われる小千谷市に入る。新潟市からは高速道路で通常は1時間ほどのところ、この日は3時間半。途中、国道が通行止めで迂回をしたり、道路にできた段差のためスピードを弱めてなんとかたどりつく。
 まずは小千谷市役所の対策本部に到着。現況を伺い、その後は市役所近くに車を止めその中で朝を待つ。夜中の間中も余震が続き、多くの救援車輌が行き交い、慌しい中でほとんど眠ることもできなかった。

小千谷市対策本部内

24日(2日目)
 一夜明け、市内各所を視察。惨状は写真の通り。震度6が何度も襲った現状をあらためて目の当たりにする。小千谷は家屋の倒壊、山崩れ、道路の陥没等に加え電気、ガス、水道のライフラインがずたずたに寸断され、孤立集落もいたるところに発生。自衛隊も現地入りし災害救助に当たっていた。電話が発生直後から依然として通じにくい。午前中に民主党第1次鳩山調査団と合流。道路の崩落現場や、小千谷小学校避難所へ。1日何も食べていないなどの状況を聞く。民主党で緊急に弁当とお茶800食を長岡、小千谷へ手配。午後、長岡市役所へ。対策本部にて現状を聞く。市民をはじめ多くの方が市役所1階に詰め掛けており、集まってきている人達に「電気はいつごろか」、「十日町方面に行きたいのだが」等々問い合わせを次々に受ける。3階が対策本部窓口なのだが、皆よくわからず困っている様子。市の皆さんも多忙を極め対応が大変なようだったが、わかることから逐次紙に書き出して貼り出すなどして1階に集まってこられている皆さんへの情報提供を工夫してほしい旨を対策本部へ伝え市役所を後にする。
小千谷小学校グランドにて


25日(3日目)
 菅直人党NC国土交通大臣が小千谷を視察。私は阿久津幸彦衆議院議員とともに帯同、小千谷へ。まず小千谷高校避難所へ。ここには市内東山地区の方が多数避難されてきた直後だった。命が助かったという安堵とこれからへの不安が入り混じり涙ながらに心情を訴えていた。ここでは昨日の党調査団から残って留まった市村浩一郎衆議院議員が中心となって立ち上げた炊き出しがスタート。その後小千谷市役所で市長から説明を受ける。市内の被害現場を見て回った後、長岡ー小千谷間で脱線した新幹線を視察。菅さんは明日の国土交通委員会で質問に立ち、地震への対応とともにこの件についても触れる予定で強い関心を寄せていた。現下では詳細な調査が済んでいないということで写真撮影等は制限されたが、マスコミのヘリが上空に何台もいて、辺りは騒音に包まれていた中での視察だった。この日は民主党としては岡田代表が小千谷、長岡入り、おにぎり300食などを緊急手配。電話が比較的通じるようになってきた。

   
小千谷高校グランドにて 高架下入り口から新幹線本体へ 脱線した新幹線が見える


26日(4日目)
 昨日までは市街地や大きな避難所が中心だったので、周辺部を入ろうと同僚の佐藤信行県議とともに、長岡から救援物資を持って小千谷の上片貝、川口町へ。先々で避難しているところに立ち寄り物資を手渡す。物資は役所などに行けばもらえるのだろうがそうも行かないところには細やかに行きわたっていない感じ。上片貝地区は大きな避難所ではなく、車や車庫に各戸、数世帯単位で寝泊りをしている状況。なんとか小千谷市内まで道路をつなげなくてはならないとの思いで、地域の方たちが率先して重機を使って砂利を敷き詰め、道路を確保した話を聞きく。住民の皆さんの思いと行動に胸が熱くなる。夕方長岡で党県連の対策会議が開かれ出席。任務分担、義援金募集の体制、党本部に寄せられる救援物資の受け入れと配布体制などを協議して確認。夜は川口町へ。町が観光、交流人口拡大の拠点として力を入れていた蒼丘の杜周辺も回ったが地震によるダメージも著しかった。まだ道なかばのところ痛恨な思いだろうと察するが、今はまず住民の命と生活建て直しが先。
いまだ停電が続く真っ暗な町を後にする。

山手線を動かすJRの水力発電所 漏水していた 上片貝より上越線の線路が垂れ下がっているのが見える 町長から説明を受ける

27日(5日目)
 救援物資を携え小千谷の南部山間地へ。佐藤県議も私と同じ小千谷の出身。山間地は道路がいたるところで寸断され救援の手がとどきにくいところが多数。私が生まれ育った地域でもあるため、同級生や地域の人たちの顔が浮かび「あの村は」「あの集落は」といたるところが気になり落ち着かないが、道が通じているというかすかな情報をもとに1つずつ、1つずつからと自らにいいきかせ歩みを進める。
 二俣、市の沢、山新田、若栃、北山と集落が続く山間部の1本道が車一台分の幅でかろうじて確保されている。この地域で4箇所に300人、小学校やビニールハウスで集落ごとに避難していた。市の沢集落入り口では同級生ら村の男性陣が自警団をつくり24時間体制で番をしていた。地震に乗じて不振な事件もおきていることを受けての対応だが懸命な行動に頭が下がる。とりわけ市の沢集落は家屋の損壊がひどくこのままでは皆村を離れてしまい村がなくなってしまいかねない状況。未だライフラインは復旧していない。この日はとても寒く冷え込んでいた。とりわけ小学校の体育館では寒さが厳しく、床上の窓をふさぐこともできていない。毛布などの物資は市役所まで行けばもらえるらしいが車を何台も連ねていかなくてはならず、動きも十分取れない状態。要望を聞き250枚ほどではあるが夜再び届けにいく。人手が足りず、長岡に居る同級生、佐川君に急遽車を出してもらい応援をお願いする。快く対応してもらい感謝。一番奥の北山地区へは再度うかがえず、無念。優太ちゃんの奇跡的救出のニュースに佐藤県議と俺たちもがんばろうと気持ちを新たにした。
物資を積んだ佐藤号 朝、状況把握に努める 二俣地域にて
家屋の被害が大きい市之沢 若栃小避難所の状況を聞く
村を守る自警団のみなさんと 北山にて 佐川くんありがとう

28日(6日目)
 午前中は民主党本部を通じての救援物資を整理。全国から自治体にも物資がきているが民主党を通じても来る。毛布、水、紙おむつなどが大量に届く。大型の車では運べないところも多いのでバンなどの車に積み込み、現地の状況を聞くとともにこまめに回りながら渡して回る活動を続ける。
 この日は昨日夜を徹して来た泉健太、津川祥吾衆議院議員が民主党子育て支援チームとして長岡入り。十日町を中心として決め細やかな支援に出発していく。また村井宗弘衆議院議員も自らのチームで長岡に到着し、昨日私たちが残した北山地区まで入り込んでフォローしていただく。またメンバーの方々はボランティアセンターの立ち上げ等状況に応じて柔軟に活動を展開。私は県議会みらい会派の仲間とともに長岡の山間部へ。佐藤県議が実験的に行うNPOの施設等の被害状況を見て回る。給食の残さを処理し飼料に再利用していく活動を行うNPOだが、壊滅的な打撃を受け一旦は廃業やむなしかという状態。牧場の牛や豚は危険なため野に放たれていた。牛や豚は全頭処分する見通し。
 夕方から夜は救援物資をもって小千谷の南部地域、真皿、冬井、戸屋。未だライフラインが復旧していない。芋坂、時の島地区はデイサービスセンターみなみが避難所になっている。ここは私の実家があるところでもある。電話で安否はわかっていたが地震以来はじめて母や祖母にも会うことができた。真皿では車で寝泊りしている人も多い。山間地域では総じて水は湧き水などで、ガスはプロパンが中心なので確保できているが、風呂に困っている話を聞く。
 冬井、戸屋、大崩地域は生命線の一本道である県道小千谷大和線が寸断。もっとも孤立して取り残されたところのひとつである。ここでも地震直後ヘリでの救出も行われた。村の人たちが徒歩で山を降り重機で道路をなんとか車を通れるようにした。その必死な思いと行動に恭敬。行政の対応が素早く届きにくい山間地域の実情を聞いて声を反映させなくてはとの思いからの現地行きだったが、最後は夜も遅くなり逆にご迷惑をかけたところもあり反省。
   

29日(7日目)
 昨日に続いて救援物資を携えて小千谷南部地域へ。昨日遅くなってしまった冬井、戸屋、大崩地域へ。せっかくの中山間地対策が功奏しはじめており、若い人も村に戻ってきたり、子どもも生まれたりとがんばっているこの地域だが、雪で村が閉ざされては生活ができなくなる。このままでは村を離れる人も出てくる。なんとかして道路だけは確保してほしいとの要望を強く受ける。ただ地震で打撃を受けた関係で田んぼがだめになり、来年の作付けはできないかもしれないという話も聞く。とにかく報道が集中している山古志村もそうだが、都会の人たちが想像もできないほど土地に対する愛着や地域への思いは熱く、強い。この思いに応えるためにもまずはなんとしても道路だけは復旧させなくてはならないとの思いで山を下る。
朝の打合せ 敷物として役立ちそうな桐板の提供を頂く 冬井にて
   
夜、明日の確認    

30日(8日目)
 この日は各地から多くのボランティアがきてくれた。茨城から民主党の福島のぶゆきさんチーム、新潟市から西村ちなみ衆議チーム、連合新潟チーム等々。長岡山間部、長岡の避難所各所、小千谷など4班に別れて行動。私は救援物資を持って連合の皆さんと小千谷の南部地域、川井、岩沢へ2往復。まだ電気が通っていない。もちろん水道もだめ。川井小学校ではこれからテントが張られるようだとの話もきいた。車中泊が続く影響もあり亡くなる人がでてきた。未だ家で寝泊りできない人のためにも活用が望まれる。
芋坂の避難所で見た連絡板 反省と明日の確認

31日(9日目)
 小千谷南部地域、上片貝、塩殿、真人へ。塩殿は町内の人たちがほぼ避難所へ入っていた。トイレが十分でないこと、水道がだめなので昔の簡易水道を復活させて対応していることなども聞く。水道の復旧、住宅調査に早くきてもらい片付け等のボランティアを頼みたい、風呂に入ることができるようにしたい、農業用水確保のための対応等々要望を聞く。世話人の方が小学校の中に時系列に沿って廊下に貼り出した模造紙にきめ細かく書き込んで記録がなされ、混乱した中でなかでもしっかりとした対応がされている様子が印象的。また避難所に母校陸上部のジャージを着た現役後輩の姿が。聞けば高校駅伝の県予選が12日に延期され、この状況で避難所も手伝いなんとか練習しているという。つかの間ではあったが心から激励。次は真人本村地域へ。5つの避難所に別れていましたが、すでに自主解散したところもあり、ちょうど住民センターで町内会長が集まり対策会議の途中。地元の塚田市議を中心にまとまった対応がなされている様子。水道についてはしばらく復旧が見込めないとの前提に立ち、10戸単位で受水槽を用意してそこに給水車を手配する仕組みを検討の最中。この件では私も電話にて要望をすぐに行い対応を願う。栗山地域では損壊した溜池を視察。その後佐藤県議がオーナーを募って行っている川口の山荘に立ち寄り。長岡へ戻ると、川口町田麦山の住民の方が現状を訴えに来ていた。佐藤県議とともに長岡地域振興局へ。これまでの要望を伝え、実情を訴える。
塩殿小対策本部室前 真人栗山のため池を視察
   
長岡地域振興局にてこの間の実情を訴える

11月1日(10日目)
 長岡に泊まりこんで7日目。朝は佐藤県議が取り組む前出のNPO地域循環ネットワークで使用する機材の片付け作業。続いて連日の救援物資を携えての行動に出発。川口町の中山・竹田集落。次に昨日話を聞いた真人・中山の農業用溜池の視察へ。周辺の沢や土手に亀裂が入り、取水口と思われるところが土砂崩れで水が堰き止められている。昨日の栗山同様、まずは一刻も早く専門的な調査、査定をして、早急な対応が必要。来年の春の作付けには間に合うのか、同じような箇所はどれくらいあるのか、また農地を直しても農家が
保有する機械や設備は大丈夫なのか等々心配は尽きない。
 午後は坪野地区を訪れた後、川口町多麦山地区へ。まずあらためて驚いたのはここが震源地なのかというほど、住宅の倒壊が集中しているエリアが多いこと。新築の家が軒並み崩壊している場所もあった。隣の小高の人たちも含め600人が小学校に避難し、最初の3日くらいは孤立した中で食料を持ち寄りなんとかしのいだという。対策本部に詰めている地元の町議の方達から詳しく話を伺う。復旧から再生へ何とかつなげていきたいという話が心に強く残った。昨日から今日にかけて小千谷の周辺地域、川口町に電気が復旧したとの知らせが各所から携帯に寄せられた。個々の住宅の調査は小千谷は市の中心部からのようで周辺部にはまだのところが多い状況を聞く。

 
真人中山のため池を視察